サイトを設置・運営しています「カゴアジ師 良竿」と申します。
本日は訪問いただき、誠にありがとうございました。
[海釣デビュー]
私は、1940年代の終わりに、外房の漁師町で生まれました。
亡き父が大の釣好きであったことや海岸まで5分、漁港まで10分という環境から、初めて海釣り・防波堤釣りをしたのは6歳の5月頃のことだそうです。
初めての釣果は、手のひらサイズのメジナやウミタナゴなどで、母が甘辛く煮付け
てくれ、大変美味しかったことをつい昨日のように記憶しています。
[小・中学生の頃]
当時は、イワイソメを鶴嘴で落岩を砕いて採取することが黙認されており、5月の連休頃の大潮になると、父とイソメを採取し、その潮下でイワイソメのハギレを餌にぶっ込んでおくと、良型のアイナメや黒鯛が良く釣れました。
また、15本位用意した篠竹の先に7号のハリスを介してセイゴバリの15号にイワイソメを付け、潮の引いた磯の岩と岩の間に差して歩き、5分程度そのままにして、次々と釣り歩くとアイナメやカサゴが面白いように釣れました。
冬にセグロイワシが接岸すると、タタキ専用バリにドジョウを赤の木綿糸で縛り、鉛
を鋳込んだウキで遠投して巻き上げる「タタキ釣り」が朝の日課のようになり、日並によっては、スズキやヒラメの数釣りも楽しめましたし、10〜11月に、海岸一帯にイシモチ(実はニベ)が接岸して、学校から帰ると秋刀魚の短冊を餌に連日一束超えの釣果を得るなど、今では想像できないほど釣れました。
交通事情も悪かったし、経済的にもまだまだの時代でしたから、海釣りは地元の人達が中心でした。
竿は釣具店から竹竿を購入して、七輪の炭火で矯正し、ガイドやリールシートを赤や青の木綿糸で縛ってニスを塗る手作りで、タイコ型リールでの釣りでした。
また、当時はオキアミが釣り餌になる前でしたから、クロダイの餌にサツマイモやニンジンの天ぷら、フナムシなどを使いました。
フナムシはウミタナゴの特効餌でもありました。
夏休みには、近所や友達の家の漁船で、イカやマダイ釣りに行くなど職漁も経験しました。今でいう体験学習ではないでしょうか。
[高校生のころ]
夏休みは海水浴場の監視員(ライフ・セーバー)や部活などから、釣行回数は大幅に減りましたが、依然としてタタキ釣りでスズキやヒラメ等を中心に釣っていました。
この頃、ソルト・ルアーの元祖である西 山 徹 氏が外房の某田尻海岸に通い詰め、タタキ釣りにヒントを得てラパラの淡水用ルアーを初めて使ったことや地元の高校生との交流などが著書にあり、後年それを見つけた時大変驚いたものでした。
彼は、当時出始めのグラス竿にスピニングリールを持って長時間汽車に揺られて往復していました。
数年前に訃報に接した時は一人涙したものです。
田尻海岸 大波月海岸
[社会人になって]
千葉県内の転勤族として社会人になったことから、銚子から船橋まで、いろんな釣り場で、いろんな釣法を経験しました。
特に、20歳台後半から40歳台前半までは、遊漁船でマダイ、ハナダイをはじめ、イサギ、ヒラマサ、ヒラメ、金目鯛、カンコなどをその地域にあった釣法で釣りまくりました。
ビシマやテバネシャクリ、カモシ釣りもひととおり経験しました。
銚子からのハナダイ釣では 藤井魚聖さんと、また、大原港からのイサギ釣りでは春日丸で盛川宏さんと乗り合せました。
自宅建築に伴い、千葉市から外房の中核市に転居したのを機に、陸っぱりでイシモチ、スズキなど釣っていましたが、平成5・6年頃に釣友からアジ釣りに誘われ、今では年間を通して外房の漁港や南房の磯などにカゴアジ釣りにほぼ毎週通い詰めております。
ハンドルネーム : 良 竿
出生地 : 外房の漁師町
生息地 : 外房の中核都市
誕生日 : 元 旦
職 業 : サラリーマン
生 年 : 1940年代後半
身 長 : 175センチ
体 重 : 74キロ(結婚してから11キロ肥えた)
星 座 : 山羊座
家 族 : 妻、子2人
趣 味 : 釣り・ハイキング・山菜採り
武 道 : 弓道 二段 ・ 剣道 初段
特 技 : 日赤の人工呼吸と心臓マッサージ講習受講
免 許 : 調理師(更新せず失効)・普通自動車運転免許
酒 量 : 自称下戸、晩酌ならビール1本
喫煙歴 : 38年間で73万本
今 は : 2003年3月から禁煙するも1年2ヶ月で再開
年間釣行: 35〜42回
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