外房の方言は、江戸時代下町で使われていた江戸言葉が成田詣での宿場町や木更津船の出入港を経由して、外房・内房・南房・東総地域それぞれに伝播する過程で独自に変化・発展したもの、領主の転封とともに移ってきた武士や領民が持ち込んだ旧領地のもの、銚子に移り住んだ紀州出身の人々や大原に定着した紀州漁師が持ち込んだ紀州訛り、外房で生まれた独特のものなど様々です。
このため、県下で共通のもの(千葉の方言・千葉弁)、外房・南房・南房・東総に共通や似通ったもの(房総の方言・房総弁)、地域によってイントネーションや語尾が微妙に異なるものも多く、また、ひと浦隣の地域では使われない方言もあります。
小・中・高校は、漁師町、商店や勤労者の住む街場、農村・山村といった三層構造の地域の児童・生徒が混在するために、方言もまた混在してましたし、大正から昭和初期にかけて行われた市町村合併による地域間交流、学校の統合等により混在化が一層進みました。
ここに収録した「外房漁師町の方言」も、その一部には漁師町と近郷の農山村のものが混在しています。
最近では、漁師町でも日常の会話では方言よりも標準語が多く使われているため、その風化がかなり進んでいますので、これらの失われゆく方言や浜ことばを保存し、次代に受継ぐ必要性を強く感じています。
方言という文化、方言を通じた外房の文化にスポットライトを当てて見つめ直したいという思いを込めて、皆さんのご協力を得ながら収録していきたいと思っています。
私の住んでいた町は、昭和初期まで続いた町村合併以前は大別すると3つに分かれていました。
小・中学校もそれぞれにありましたし、お祭りの時期も担ぐ神輿もまつり歌もそれぞれ独自な特色を持っていました。
このような環境もあって、しきたりや行事はもちろん、方言も微妙に異なります。
町村合併により交流が進み、その後、中学校統合を機会に方言の混在化に拍車がかかりました。
それでも、私の育った昭和30年代の朝市では、その会話を聞くと、漁師町の人、まち場の人、農家の人とすぐにわかりました。
この違いは、生活している環境も多分に影響していると思われます。
[漁師町では]
波や船のエンジン音、海女の潜水による難聴などや家計を支えるカカア殿下のような気質もあってか、女性も「俺」を使いますし、何々ですよとか何々やろうよの語尾には「おー」を使います。
また、その話し声は大きく、力強く感じます。
「おはよっ いいやんべだねー おまんま食ったら はやいっべおー」
[まち場では]
商店や勤め人が多く住んでいるまち場では、「俺」を使う女性は少なく、訛りや方言は漁師町や農家ほどの特色はありません。
茂原市や千葉市に通勤していたり、都会から来る避暑客を相手にする商店では、荒く感じられる方言を使わないようにした傾向もあったと思われます。
「おはよう いいやんばいですね ご飯食べたら 早く行きましょう」
[農家、農村では]
農家の方は、その環境からか、のんびりとまたゆったりとした雰囲気が感じられます。
語尾に「何々だね」を意味する「のー」とか「それでね」を意味する「のっ」をよく使いますので、漁師町の方言よりもやさしく感じられます。
「俺」を使う女性は少なく、代わりに「あて」が使われるのも特徴のひとつです。
「おはよう いいやんばいだねぇ まんま食ったかい はやいんべよー」
このように、同じ町に住んでいながら、その環境から使われる方言も三層に分かれています。
微妙に異なる方言を聞き分け使い分けが出来れば、「よそもん」(他所から来た人)から「地のもん」(地元の人」に一歩近付けるのではないでしょうか
皆さんからの「こんな方言もあるよ」といった情報を心よりお待ちしています。
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